10/26 FB こころとは2 その2

■関係ない質問ですが,友達を作るにはどう行動したらよいですか?
⇒なぜ,それを私に聞こうと思ったのでしょう。問いは,適切な人にぶつけなくては,得たい答えは得られません(笑)。
さて,こんなことを第一声で言ってしまう私は,お察しの通り友達は少ないです。若いときは,多少は気に病み,第一印象をよくしてみようとか無駄な努力をしたものです。小学生のころは,ナッキー(古すぎ…)にかぶれて,こころの友と書いて親友!なんて,暑苦しくクラスメイトに関わって,こっちが思っているほど相手からは思われていない事実に傷ついたものです。この歳になると,いろんな意味で全然気になりません。
そもそも「友達」ってどんな人ですか。
一緒にお昼を食べたり,遊んだり?
悩みを相談したり??

お昼食べたり,遊んだり,っていう程度であれば,身近にいる気が合いそうな人に,フレンドリーに,でも踏み込みすぎないように,声をかけて誘ってみれば良いのでは?もちろん,今まで同じ教室にいながら一度も挨拶もしたことがない人に,突然声をかけたらお相手は驚くと思うので,まずは挨拶や事務連絡,ノートの貸し借りなどから間合いを詰めていく手順は大事です。
対人認知の返報性を適用してもらえるよう,ともかく「笑顔」で,「優しそうに」「穏やかそうに」。そのような態度の相手には,自動的にお礼をしたくなり相手も笑顔で優しく対応してくれます(これが返報性。社会心理学の本を見ましょう)。
そうやって仲良くなったつもりの相手が,自分を遊びに誘ってくれなかったり,いつも自分からしか誘わなかったりしても,文句を言ったりしないことです。たまたまそのお相手は,何某かの事情があって,こちらと同程度の好意を寄せてくれなかっただけです。単に都合がつかないだけか,誘われたいタイプの人か,すでにいる友達が閉鎖的タイプか…。事情は山ほどあるでしょう。意地悪されたのでなければ,ばっさり切ったり,攻撃したりする必要はありません。その関係性はそのままに,新たな「友達」候補と関係性を築く努力をすればよいだけです。そのうち,同じ程度に想いあえる友達ができるかもしれません。

そんな通り一遍の関係性ではなく,深く心をさらけ出しあえる相手を…という場合は,難しいですね。
そもそも,私は,なぜ他人に「心をさらけ出」したいのか判りません。心理学者なのに~(笑)!
いえ,心理学を学んだから,です。みんな心(あるいは悩み)を軽く扱いすぎです。
あなたの悩みは,素人が聞いて解決できるような単純な悩みですか?あなたの心のありようは,他人が触れて引いたりしないほど清廉ですか?その程度なら「さらけだす」などという表現は使わないですよね。
本当に重い悩みは,聞く相手にも大変な破壊力を持って迫ります。訓練した人でないと,そのような悩みに対応はできないものです。本当に悩んだときは,是非専門家に。

悩み相談限定ではなく,ありのままの私を認めてくれる友達が欲しい!という主張の方もいらっしゃるでしょう。
その場合には,ご自分も相手の「ありのまま」を受け止める気概と度量が必要です。人のありのままって,結構えらいことになってますよ?受け止めるの,しんどいと思いますよ~。それに,ありのままを受け止めてもらえる友人を探すためには,ありのままを拒絶される,何万回を平気に思える豪胆さも必要です。「得難い」友を探しているのですから,そりゃ当然ですよね。そうまでして「探さ」なきゃいけないのかなぁ…と個人的には思います。そんな相手は,おそらく一生涯に一人いるかいないかだと思います。そう思えば,見つからなくても気が楽ですね。

こんな私でも,困ったときに「助けて!」とSOSを出せば,駆けつけてくれそうな友人は3人ほどいます。が,絶対,どんな時も駆けつけてくれるなどという幻想は抱いていません。相手にも相手の生活があり,滅私奉公を望むのはおかしいと思います。ちゃんとSOSも出さないのに「こんなにつらい私を察して!」と赤ちゃん返りするのは言語道断です。自分が楽になりたいばっかりに専門家でもない彼女らに「さらけだす」のも,友人であるだけに気が引けます。
楽しい時間を共に持てるように心がけ,悩みは相手が許容できる範囲でチラみせ,親しき仲にも礼儀ありをモットーに,でも相手のピンチには駆けつける気概を胸に秘め(笑),ごくたまに会う。私にとっての心地よい友人は,そのような関係性を良しとしてくれる人のようです。こんな人たちとも,単に挨拶だけの関係から始まり,お茶に呼んだり呼ばれたりを繰り返しての「今」です。同じように付き合っていても,フェードアウトしていった方もいます。

結論。寄りかかりすぎず,バリアを作りすぎず,わかってもらえなくて当たり前を念頭に,いろんな人とかかわりを持ってみる。ってなところでしょうか。…うむ。やっぱり,聞く人を間違っていましたな。